ある朝君は目が覚めて

ジョイディヴィジョン、ニューオーダー好きのブログです

メタル側からのグランジ再検証 2

前回の記事では「ニルヴァーナがネヴァーマインド発表時であるにも関わらず、知名度が非常に日本で低く、僅か3ページの白黒記事でしか扱われなかった」という真実を知って驚いた人もいたかと思います。

 

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最初で最後のニルヴァーナ来日公演のポスターこの写真は今年3月のウドー音楽事務所の洋楽展で私が撮影したものだが、周囲が派手なヘアメタルの来日公演ポスターばかりだったので、ボロボロな服装のメンバー達の白黒写真のポスターはかなり目立っていた。

 

 それでも人気絶頂期で連日のライブで忙しいはずなのに、一生懸命に取材に応じてくれたカート達のインタビュー記事の内容は凄く興味深かったです。1991年11月のインタビューだけでなく、翌年の来日公演の時にも行われたインタビューの内容も含めてここに要約して載せます。

 

①日本に対する印象

カートは、日本に対して「英語を覚えようとしない国には一目置いているんだよ。日本の文化を犠牲にしてまでアメリカに近づく必要なんてないんだから」と述べています。

 同じ90年代前半にしょっちゅう来日公演をしていたラモーンズのジョニー・ラモーンは「日本は、アメリカと同じ文化が沢山あるから凄く落ち着くんだ!」と語ってたのとはまるで正反対で、同じアメリカ人のパンクロッカーでも日本に対する見方が違うんだなぁと思いました。

 

②女性のロック界進出について

「ガールフレンドがロックバンドをやっているメリットは何ですか?(奥さんのコートニー・ラブが結成したホールのことを言っている)」という質問に対して

 

「女性はロックをプレイするべきだよ!俺が好きな少年ナイフのようにアコースティックギターじゃなくてエレキギターでね。

女性は男性よりも頭がいいし、センスも優れている。ロック界の中では昔から性的差別があったから女性のロックミュージシャンは少ないかもしれないけど、女性だけのバンドがもっと増えるといいね。」と述べています。

更に、ソニックユースピクシーズのようなベーシストが女性のバンドが好きなことも語っており、カートがロックの女性進出に対して非常に肯定的なことがよく伺えます。

そういえば、死後に発見された、この未公開インタビューでも「僕はエアロスミスやレッドツェッペリンの音楽が大好きだったけど、彼らのもつ女性蔑視的な部分は大嫌いだった」と言ってました。所謂「男らしさ」の否定とフェミニズムの肯定はニルヴァーナから多く見られますね。

 

https://youtu.be/C1Z2BkZaOQc

1993年7月22日のロック伝記家ジョン・サヴェージとのインタビュー。この動画は、カートの生い立ちも詳細に語られている必見物。

「不幸な子供時代を過ごしたけど、今は妻も娘もいるし幸せだ」と語る彼の言葉が虚しい。

 

③「レコードを買う人の大半は本当は音楽なんて好きじゃないんだ」というカートの発言

インタビューの後半部分。突然の電話やツアーマネージャーに、喋っているのをちょいちょい邪魔されながらも、増田さん達の質問に対して真摯に受け答えしていたカートが語ってくれた衝撃の言葉。

 

 「レコードを買う人の大半は音楽を理解できなくて、良い音楽か悪い音楽か判断がつかないんだ… レコードショップに行ってもチャートのトップ10のCDしか買わない…

 そういう人は、ハイスクール時代は人気者でちゃんとした所謂「まとも」な人なんだ。だけどその人にとって音楽は単なるBGMで、本当に心から好きなんじゃない…俺の両親もそういう人間だった。通信販売で送られてきたレコードをかけてたけど、本当に音楽が大好きな人間じゃなかった…買う余裕があるから買ったんだ…」(インタビューを要約しました)

 

この発言を読んで、私が思い出したのはカート・コバーンの生い立ちを詳細に書いた伝記本「病んだ魂」でした。(カートの自殺後すぐに出版された為にその内容もほぼ正確だと思います。)本書はカートの幼少期のことが事細かく書かれていてニルヴァーナ研究家としては貴重な資料です。

ビートルズモンキーズ大好き少年カートが、キッスやエアロスミス、ブラックサバスと言ったハードロックやヘヴィメタルに目覚めたのは、カートの父親であるドナルド・コバーン氏が知人に頼まれてレコードの通信販売を注文したのがきっかけだったと言われています。

ドナルド氏がレコード箱を開封せず放ったらかしにしていたのを、カートが興味半分で開けて聴きだしたのが全ての始まりでした。音楽にさほど興味のない父親によって、息子がロックに目覚めるとは何とも皮肉すぎる…

 

④実は歌いたくなかったカート

 

「本当はボーカル兼ギターなんてやりたくなかった。歌う人がいなかったから、しょうがなくボーカルになったんだ。

 俺はバンドの後ろの方で変な音や面白い音を出すリズムギターになりたかった…」

 

これは本当に意外だった。確かに「パールジャム」のエディ・ヴェターのようなセクシーな低音ボイスや「サウンドガーデン」のクリス・コーネルの天まで届くような高音ボイス、「アリスインチェインズ」のレイン・ステイリーの麻薬のように病みつきになる歌声といった他のグランジ勢のアーティストと比べるとカートの声は明らかにダミ声っぽいし、調子悪い時は本当に聴いてるこっちが不安になってくる。

 でも、アンプラグドで披露した「Where did you sleep last night」の最後の悲鳴の凄まじさやライブ動画での「静と動」の声の使い分けは本当にかっこいいし、何よりもアコースティックバージョンのニルヴァーナの名曲を聴くと、「グジャグジャなギター音がなくてもカートの声さえあれば、ニルヴァーナなんだ!」と思わせるほど特徴的な歌声をしている。だから、カートが歌いたくなかったというのはファンとしては本当に衝撃的だった。どんな形であっても生き続けて歌ってほしかった。

 

⑤日本のファンへのメッセージ

 

「ドラマ、ベース、タンバリン、キーボードでも何でもいいから楽器を買おう!俺は沢山の子供達がギターを手にしてバンドを始めてくれたらどんなにいいだろうと思っている。音楽を本当に愛しているのならバンドをやるべきだ」

 

実際にニルヴァーナをキッカケに音楽に目覚めたりギターを始めたという人は本当に多い。(私もその一例です!)ニルヴァーナの曲は非常にシンプルでパワフルだから、すごくとっつきやすくハマると一生抜け出せない。そう考えると、ニルヴァーナって90年代のビートルズみたいな存在だったのかもしれないですね!

 

おまけ

増田さんが特に印象に残っているカートとの思い出話

インタビューの時にBURRNを渡して「日本のメタル雑誌だよ」と紹介した時に、カートは表紙を飾ったDAD(デンマークのハードロックバンド)の写真を見て「この人達は誰?」と聞き、増田さんが「DADってバンドだよ。まだそんなに知られてないけど、もうすぐブレイクするかもしれないから取り上げたんだ。」と答えるとカートは「それはいいことだね!」と言ったそう。

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(増田さんが渡したのはこのBURRNかな?)

1991年12月号のBURRN

 

普通のミュージシャンだったら「なんで俺達を表紙にしないんだ!」と怒りそうなところ、カートは自分の知らないミュージシャン(といっても本国デンマークでは人気)が表紙を飾ったことに好意的な様子を示したそうです。

実は「ロックスターになって一番いいことは、自分のお気に入りのインディーズのバンドをサポートできることだ。」と生前発言した彼は、かなりのインディーズ贔屓。実際、ニルヴァーナでカバーしたり、好きなアルバムを紹介したり、バンドTシャツを着ることによって有名になっていったアーティストは非常に多い。ヴァセリンズなんか本当にその一例で、カートの力なしには注目を浴びることはなかったかもしれない。

 売れてるバンドばかりが注目されていた中で、マイナーなミュージシャンがこうして雑誌の表紙を飾ったことを本当に嬉しいと思ったんでしょうね。

 

「超絶技巧や長ったらしいギターソロをひけらかすようなミュージシャンは嫌いだ。ポイズンのギタリストみたいにね。

 誰もが楽器を手にとってバンドを始まるようなミュージシャンがいいんだ。」

 

なぜか、ここでポイズンのギタリストのことが挙げれていて増田さんは「?」と思ったそう。

というのも、この頃のポイズンは確かに演奏時間が長く、ギターソロも延々と続いていたけどそれは別に「俺たちは上手いんだぜ!」とアピールするためでなく、ボーカルのブレット・マイケルズが糖尿病で、30分ごとにステージから引っ込んでインスリン注射を打たなくてはならなかったという複雑な裏事情があったからだ。

 

 もしかしたらカートはそのことを知らなかったかもしれないけど、それでも「楽器の上手さ」だけが重要視されるロック界に対しては反発していたってことが分かる発言でした。

 

次の記事では、増田さんがニルヴァーナ以外のグランジロックについて語ってたことをまとめます!