ある朝君は目が覚めて

ジョイディヴィジョン、ニューオーダー好きのブログです

「メタル側からのグランジロック再検証トーク」レポ

 10/18の深夜、ツイッターを眺めていると、メタル雑誌BURRNの元編集部の増田勇一さんがツイッターにて「メタル側からのグランジ再検証」のトークショーを開催するというので、「ニルヴァーナ好きとして是非参加したい!」と思って日時を確認したところ、なんと翌日の10/19の夜に新宿Rock Cafeにて開催されると知り、慌てて申し込んだ。

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トークショーが開催された新宿Rock Cafe。)

9/30に参加した「筒井哉さん(下北スミス)VS久保憲司さんのスミス徹底研究」のトークショーもここで開催されており、こじんまりとした建物でありなからも音楽好きには居心地の良い最高の場所であった。

 

 7:00を過ぎたところで、突然DJブースの上方のスクリーンに映画「レスラー(2009)」の名シーンが映し出される。

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ミッキー・ローク演ずる主人公、ランディーは落ち目になった中年プロレスラーだ。80年代には絶大な人気を誇ったランディーは当時大流行したロック(所謂ヘアメタル)を心の底から愛していて、入場曲にはガンズアンドローゼズの名曲「Sweet on child」を流すほど!

 そんな彼が「80年代は最高だった、でもニルヴァーナがダメにしてしまった」とボヤくシーンがスクリーンに映し出された。さあ、ここからが本題だ。ランディの言う通り、本当に「ニルヴァーナを始めとするグランジロックがヘアメタルをダメにしてしまったのか?」。

 

そして、90年代のアンセムである「smells like teen spirit」(リマスター盤)が大音量で流され、本日の主役である増田勇一さんが登場!

 メタル雑誌BURRNの元編集部であり、実際にカート・コバーンと対面取材をした「時代の証言者」である増田さんは、2時間30分、思う存分に、その当時の空気を語ってくださった。

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時代の証言者である増田勇一さん。

トークショーの後に増田さんと少しお話ししましたが、本当に良い方でした!アリチェンの3rdアルバムの三本足のワンちゃん(日本ではこのジャケットのイラストが問題となり、一年遅れて別のものに差し替えられて発売された)のTシャツがカッコよかったし、「シアトル行くのが夢なんです!」と語ったら、「シアトルはいい所だから是非行きなさい!」と言われて嬉しかったです!増田さん、ありがとうございます!

 

①日本でのニルヴァーナの扱い

日本初の対面インタビューとして、(電話インタビューはクロスビートが先にやっていたらしい)ニルヴァーナと出会ったBURRN。それはフレディ・マーキュリーが亡くなった2日後の1991年の11月26日のことでした。

 デンマークのハードロックバンドDADのイギリスツアーに同行したニルヴァーナに、増田さんは取材します。

 この時、ニルヴァーナのメンバーを取り巻く環境は大きく変わっており(と言うのも名盤「ネヴァーマインド」が発表され、徐々にチャートの上位を駆け抜けていった絶頂期直前の頃だったからである。)特にカートは誰が見ても明らかな程警戒心を丸出しにして常に情緒不安定だったという。インタビューが始まる1時間前に、ツアーマネージャーがカートに「日本からのインタビュアーが来てるよ!」と説明しても、カートと30cmの距離にいた増田さんの存在に気がつかないくらいボーッとして目が常に泳いでいたという。

 しかし、1時間後に増田さんが取材の為に部屋に来た所、カートは非常に穏やかな表情で「よく来たね」と出迎えてくれ、インタビューも順調に進めることができた。

こうして和やかに取材は終わったものの、増田さんが出国前にホテルの部屋でテレビを見ていると、ニルヴァーナがイギリスの音楽番組「Top of the pops」に登場して伝説の放送事故ライブを披露していた。

 

https://youtu.be/S0MzeMfcGxA

1991年 ニルヴァーナTop of the pops出演回

当時のTOTPは「口パク」の出演がスタンダードだったが、カートが「歌だけは生でやりたい」と言った為にこうなってしまった。観客がドンドン冷えていくのが、見てて面白い。

 

 モリッシーのモノマネで聴衆を馬鹿にしたような歌い方をしたカートやドラムでふざけるデイブ、ピート・タウンゼントもびっくりする程ブンブンとベースを振り回してマシンガンのように構えるクリス達3人が大暴れしている映像を見て、「やっぱりカートは少し危なかったんだなぁ」と思いながら帰国したという。

 

この時の内容はBURRNで無事に記事になったものの、なんと「白黒3ページ」の極めて地味な扱いになり、日本での知名度の低さがよく分かるものであった。

 

 

 ということで、実際に当時のBURRNの古雑誌が回ってきたのですが本当にこれが地味すぎる!まあ、グランジらしいと言えばそうなんだけど。(記事の内容は要約して次の記事に載せます!)

 僅か3ページのニルヴァーナは、何も知らずにページをペラペラとめくってしまえば本当に読み飛ばしてしまうくらい地味で、「よく翌年の1992年に来日公演が決まったよなぁ」と疑問に思ってしまうほど寂しいものであった。

 

 この話から分かるように、ニルヴァーナは本当に日本での扱いが地味過ぎた。そもそも、このBURRNの取材自体も、後に「ネヴァーマインド」のライナーノーツを担当することになる平野和祥さんが、ニルヴァーナとゲフィン・レコードの契約を聞きつけて、ゲフィンに問い合わせしたことから始まったという。そして、増田さんもニルヴァーナの曲のカッコよさ(BURRNのディスクレビューで、「ネヴァーマインド」に88点付けている)とカートのルックスに惹きつけられて、なんと自費でイギリスまで飛んだそう!

アメリカじゃロック史を一変する大ヒットだったのに、日本じゃ全く知られてないっていう話がとにかく衝撃的だった!カートって自殺した時は新聞記事にも載ったっていうのに、生きている時はこんなにも日本で不遇な扱いを受けていたのね!

 

そういう生の話が非常に面白くて、回ってきたBURRNのインタビュー記事を読んでいると、カートが結構興味深いことを言ってたので次の記事で要約して紹介しようと思う。

 

続く